カイロプラクティックの歴史

カイロプラクティック紀元前

カイロプラクティックという名前は、ギリシャ語の「手で行う」に由来します。最も古い背骨への治療は、紀元前5世紀に古代ギリシャの医者ヒポクラテスが行ったものであると言われています。その後も民間療法として、背骨への手技療法は存在していましたが、18世紀から19世紀には手技療法が危険とみなされ、その技術は衰退し始めました。骨にも感染し症状をあらわす結核や梅毒といった感染症が蔓延したためではないかと考えられます。

しかし、その中でもごく少数の医師と多くの患者によって手技療法は伝承されていました。そして19世紀には、アメリカのアイオワ州ダベンポートに住んでいたのちのカイロプラクティック創始者D.D. Palmerに大きな影響を与えます。彼は伝統的な手技療法、医学書、オステオパシーなどから多くを学び、1895年にカイロプラクティック理論を確立しました。

そして、法制化へ

カイロプラクティックは1895年の誕生以来、「哲学」「科学」「芸術」の3つの柱を中心に発展を続け、今日に至ります。20世紀に入ると、医学界、科学・生物学界、公私的機関から強い反対にあいながらも、1905年にミネソタ州において初の法制化がなされました。その後は、アメリカ全州、イギリス、カナダ、EU諸国、オセアニアでも法的に認められる存在となっています。法制化の最大の理由は、その治療効果が患者に認められたことです。患者が政府を動かしたのです。

日本ではまだカイロプラクティックは法制化がされていませんが、その理由としては1991年の「三浦レポート」*があります。 このレポート以来厚生労働省は、手技療法は定義づけが難しく、またカイロプラクティックの独自性・有効性・安全性を証明できないのに加え、医師会・あんま・鍼灸・柔整団体の反対運動があるいった理由からカイロプラクティックを「非科学的な医学的根拠のない無資格の医療類似行為」と判断し、法制化は難しいという立場をとっています。

三浦レポート: 1991年、厚生労働省(旧厚生省)によって設けられた研究チームにより提示された報告書「脊椎原生疾患の施術に関する医学的研究」。

しかし、海外ではカイロプラクティックの有効性を認めるレポートが多く発表され、WHOでは鍼灸等と同様の代替医療として認可されています。

▼カイロプラクティックの有効性を認めるレポート

レポート内容
1979年 ニュージーランド ニュージーランドレポート
1984年 オーストラリア メディケア受益検討委員会報告書
1987年 スウェーデン 代替医療に関する報告書
1991年 アメリカ 腰痛に対する脊椎マニピュレーションの妥当性
1993年 カナダ マンガレポート
1993年 イギリス ピングハムレポート
1994年 アメリカ 成人における急性腰痛の諸問題
1994年 イギリス 腰痛ガイドライン